牛飼い指南書

農業で生産性のある豊かな人生を

Cu(銅)は牛のカラダのどこで使われるの?

ミトコンドリアを知ってますか?

聞いたことはあると思います。

 

細胞内のほとんどのエネルギーの生産に必要なものだと考えれば簡単かもしれません。

 

そのミトコンドリアの電子伝達に使われるのがCu(銅)です。

 

銅は他にも、酵素の構成成分として働いています。

 

縁の下の力持ち的存在ですね。

 

配合飼料を多給された時は、充足していることがほとんどで、粗飼料多給の場合は不足しがちです。

 

私は大豆粕を与えているのですが、この大豆粕にはCuが少なく、補ってあげる必要があります。

 

基本的には「足りない」という状況はほぼありません。

(なぜなら、配合飼料をあげているため)

 

逆に、補おうとして、添加品を多給したほうが危険で、与えすぎると銅中毒になるので注意です。

 

また、例えばモリブデンやイオウが少ない場合に、いつもより銅の摂取量が少なくても、中毒を発症する可能性もあります。

 

つまり、バランスの取れた餌を給与することが求められるわけです。

 

配合飼料は偉大だということですね。

頼れるものは頼る。

 

それも牛の食の安全を守ることに繋がりますね。

Ca(カルシウム)とP(リン)とMgの多給にはご注意を

牛も人間もカルシウム(Ca)って大事ですよね。

それから、P(リン)やMg(マグネシウム)といった要素も大事です。

 

しかしこれらは、必要な要素ではあるのですが、摂取しすぎるとアレになります。

 

そうです、結石(ストルバイト結石)です。

 

結石になる要因としては、カルシウムをたくさん摂取した、というだけではなりません。

 

まず、PとMgが過剰に摂取されると、体内でアンモニアと結びつき、結石になります。

 

主にヌカ類を多給した場合に起こりやすいです。

 

予防としては、尿の成分(pH)を調整するために、塩化アンモニウムを給与するといった方法があります。

 

Caの投与では、尿の成分調整がうまくいかずに、逆に結石を作ってしまう可能性があります。

 

Ca:P=1:1〜7:1になるように調整しましょう。

少なくとも1:1以上が好ましく、これは成長に必要な栄養素が足りなくなるからです。

 

私のオススメは昆布粉末です。

昆布粉末には、たくさんの要素が入っていますので、使いやすいと思っています。

 

ただし、昆布粉末は海洋性の資源なので、栄養素の含有量は多少の変動があるため、突然にたくさん給与するのは良く無いと思います。

 

CaとP、Mgといった主要無機物のコントロールは難しいですが、牛の健康には必須で大切なものですので、今一度、確認を。

Mg(マグネシウム)は何のために必要なの?

マグネシウム(Mg)は牛のどの部分に存在しているでしょうか?

 

A.65〜70%が骨の中に存在しています。

 

マグネシウムの作用は、体内で酵素の活性化や神経伝達、骨の形成における重要な役割を果たしています。

 

マグネシウムは粗飼料(草)から吸収されにくく、主に濃厚飼料(配合飼料)から吸収されます。

 

つまり、放牧されている牛はマグネシウムが欠乏しやすいです。

 

マグネシウムが欠乏すると「グラステタニー」という疾病が起こります。

これは、痙攣や食欲減退、歩行異常が起こり、老齢牛の場合は、最悪死亡します。

 

寒い時期に、ストレスと窒素とカリウムのコンボで多発しやすいので特に注意が必要です。

 

馴染みがない分、気をつけたいですよね。

牛はエネルギー(牛エネ)

牛にとって、エネルギーとなるものは、

 

①炭水化物

②脂肪

蛋白質です。

 

エネルギーの計算式は、

 

1)飼料(総エネルギー)- ふん(の中に含まれるエネルギー)=可消化エネルギー

2)可消化エネルギー - 尿とメタン=代謝エネルギー

 

となります。

 

簡易的には、総エネルギーの7〜16%が尿やメタンとして、失われるエネルギーということになりますので、摂取した食べ物の内、10%前後は失われるエネルギーと言えます。

 

食べた分全てを吸収しているわけではありません。

 

しかし、牛が「食べる」ことにおいて、ほぼ100%が畜産物として循環していることになります。

 

度々、環境負荷の問題を提起されることがありますが、牛は畜産物として非常に優れた、効率の良い食べ物なのです。

「安福久」しか勝たん

年に一回くらい「安福久が入っててよかったあ」、って思うことがあるんですよね。

 

どうしても、大きくならなかった子牛でも安福久が入っているおかげで、ボタン(セリのボタン)を押してくれる方がいるみたいです。

 

また、自家保留(自分の家に跡取り牛を残すこと)を考えている時に、「安福久が入ってるから残そうかなあ」ってなるんです。

 

逆を言えば、安福久が入ってない牛がセリに出た時は少々不安です。

 

しかし、その反面、自分の力を試されているような気にもなって、そういったセリの日はいつもより緊張しませんか?

 

私は、安福久が入っていない子牛を出荷する時、本当に楽しみでエキサイトします。

 

そして、思っていたセリ価格(目標)を上回ることができた時は、「自分の育て方は間違ってなかった」と振り返ることができます。

 

ですから、この先も安福久が入っている牛も、そうで無い牛も、大切に飼い続けます。

 

彼らは、それぞれの役割と感動を与えてくれますからね。

座ってた牛、どうして立ってすぐにうんちするの?

反芻してる牛を眺めてると、ふと気がつきました。

 

牛は座ってる間に反芻をしていることが多く、その後立ち上がったときに「排便」をします。

 

なぜなのかずっと考えてました。

 

どうやら、牛は座っている時(反芻をした後)消化し、腸に排泄物を溜めます。

 

その後、腸がいっぱいになった頃に、立ち上がり、その瞬間に糞(フン)をするのです。

 

立ち上がることにおいて力が入ることはもちろん、立ち上がるという行動が腸の動きを活発にさせます。

 

私は、「立ってすぐに糞をしたら、野生生物から逃げられないのでわ?」と疑問に思ってました。

 

ですが、その事とはあまり関係はなく、牛は牛自身の生理的現象として、ベストなサイクルで排便しているようです。

 

牛さんは、のんびり屋さんなんですね。

米国銀行株の暴落で恐慌発生か

米国銀行株が暴落し、日本への影響が危険視されています。

 

米国銀行株の暴落が日本農業に与える影響はなんでしょうか?

 

まず、金融市場への影響が出ると予想されます。

米国銀行株の下落は、国際的な金融市場にも影響を及ぼします。

 

その結果、日本の株式市場や為替市場などにも波及する可能性があります。

 

投資家は損切りを考え始め、金融市場の不安定化が生じることが考えられます。


また、資本市場において、資金調達に影響を与える可能性があります。

 

これにより、日本も企業が外国からの資金調達に制約を受ける可能性があります。

 

つまり、日本企業の成長や投資計画に影響が出るということです。


貿易にも影響がでると予想され、世界的な景気後退のリスクが高まる可能性があります。

 

とりわけ、日本の主要な貿易パートナーである国々の経済状況が悪化し、輸出需要が減少する可能性があります。


そして、食料価格への影響が最も懸念すべき点です。

 

食料自給率の低い日本では、農業生産には多くの輸入依存があります。

 

米国銀行株の下落によって、為替レートが変動し、輸入品の価格に影響を与え、食料価格の上昇につながる可能性があります。

 

スーパーで気軽にお買い物ができなくなるかも知れません。


その影響は、経済全体へ波及し、世界的な金融不安を引き起こし、日本だけでなく諸外国の景気後退のリスクが高まる恐れがあり、日本の経済全体にも影響を及ぼす可能性があります。

 

また、消費者の信頼や企業の投資意欲が低下し、経済成長がストップするでしょう。

 

そうなると、消費は冷え込み悪循環を起こし、子牛の価格にまで影響するのではないでしょうか。

 

せっかくコロナから持ち直し始めた経済活動が、鈍化すると、日本の食は守られるのでしょうか?

 

食料の輸入依存の強い日本がこの難局を乗り越えるには、本当に既存の産業や農業の強化に国をあげて注力すべきです。

 

食料が無い無いと言ってるばかりではなく、国民が危機感を持たなければなりません。

 

そうしなければ、もはや先進国ではなくなるでしょう。

「福之姫」という牛

福之姫は、全国的にマーケティングの成功した種雄牛であります。

 

生まれは、栃木県大田原市

母は「ふくひめ3」という牛で、鹿児島の薩摩市場から導入した牛です。

 

このふくひめ3に、これまた栃木県の種牛「芳之国」を交配して、生まれたのが「福之姫」です。

 

「福之姫」は増体性、資質共に優れており現場では、「めちゃくちゃ大きくなる」との声が多数聞こえてくるほど。

 

傾向としては、一代祖が「安福久」の雌牛に種付けされることが多い。

 

そのため、「福之姫-安福久-平茂勝」といった流れの牛を、仮に北海道に持ち帰った場合、次に鹿児島県の種牛を交配させることは難しくなります。

 

ということは、次世代を担う生産牛を探求していく場合、仮に北海道で繁殖するならば、必然的に民間の種牛を交配するか、事業団を継続的に使っていくと言った考えになるでしょう。

 

つまり、事業団一人勝ちのような現状ではあるものの、もし再び鹿児島県などが「安福久」のような種を当てた場合、現在の鹿児島や宮崎と事業団の関係性では、鹿児島や宮崎は、交配における協力を事業団に行うことはないでしょう。

 

その関係性が、非常に残念でなりません。

 

今後も日本国内における精液ストローの利用を取り巻く、法改正は行われていくと予想できます。

 

その時、時代はどちらに動くのか刮目したいですね。

雄牛にも発情はある?

雄牛にも発情はあるの?

 

答えは、あります。

ただし、去勢されると性ホルモンの関係で、抑制されます。

 

性成熟、すなわち大人になると、特定の時期に発情行動を示します。

 

この時期は、雌牛が発情する期間と一致することが多く、交尾の機会を求めて行動します。

 

牛の雄の発情は、主に性ホルモンであるテストステロンの分泌によって制御されます。

 

テストステロンが上昇すると、牛の雄は性的に活発になります。

時には、他の牛に対して興奮や攻撃的な行動を示すことがあります。

 

発情期の雄は、他の牛を嗅ぐ、舐める、鳴いたりといった行動の増加などが観察されることがあります。

 

人間が近寄ると怪我をすることがありますので要注意です。

 

特に、種牛を育てている農家での事故をよく耳にします。

 

相手は500kg以上の巨体なので、敵いませんね。

 

一方、雌牛には、乗賀許容の時間、つまりは授精適期があります。

 

21日周期で訪れるのは基本ですね。

 

雄牛がいる場合、雌牛のアプローチに誘発される形で交尾をするわけです。

 

雄牛は年中盛っているわけではありません。

 

タイミングがとても大事なのです。

昆虫はなぜ大型に進化できなかったのか?

昆虫を人間サイズに換算したら、ものすごく強いって良く聞くと思います。

 

もしそのような進化ができていたら、人間なんてあっという間に昆虫のエサになっていたはずですよね。

 

では、なぜ昆虫が人間サイズに進化しなかったのでしょうか?

 

その理由にはいくつかの要因があります。

 

第一に、昆虫は骨格が外骨格であり、これは大型化するにつれて弊害が増します。

 

大型化によって外骨格は体重を支えることができなくなり、大型化に必要な強度を維持するためには、外骨格が厚く重くならざるを得ないためです。

 

この重い外骨格は、運動の自由度を制限することになります。

 

第二に、昆虫は呼吸に気管支を持っているため、大きくなると酸素の供給が追いつかなくなることがあります。

 

したがって、昆虫が大きくなりすぎると、体内の酸素不足によって生存が困難になる可能性があります。

 

第三に、昆虫は体温調節能力が限られているため、大型化すると体内の熱を放散することが困難になります。

 

これにより、昆虫の体温が上昇しすぎて、生存に支障をきたす可能性があります。

 

以上の理由から、昆虫が人間サイズに進化しなかったと考えられます。

 

また、昆虫は体の大きさよりも、進化によって獲得した特殊な能力によって生存していると言えます。

例えば、昆虫は繁殖力がすごいですよね。

 

したがって、昆虫が大きくなったとしても、その特殊な能力が保持されるかどうかは不確定であり、生存戦略が大きく変化することが予想されます。

 

昆虫において、大きくなると種の繁栄に効率が悪く、不都合が生じるんですね。

 

進化によって大型化した哺乳類(牛や人間)が獲得した大きな身体に比べ昆虫は、その小さな身体に様々な特殊な能力を得たわけですね。

 

面白いですよね。

鹿児島の偉人「3選」

①【AI】

シンガーソングライター。鹿児島の歌姫。

お母さんはバーバラ。


②【西郷隆盛

幕末志士で、鹿児島県薩摩藩重臣

薩長同盟の立役者の一人で、明治維新の中心人物の一人でもある。

 

 

③【安福久】

鹿児島の名牛。今もなおその子孫は全国で活躍している。これ程までに子孫を繁栄させた一族は他にいないだろう。隣を見れば兄弟や姉妹。

高い肉質改良能力によって、他の種とは圧倒的な差を見せつけて続けている。

 

安福久の後継牛として、期待されたのは、美国桜や諒太郎、幸紀雄。

しかしながら、それぞれの能力は高かったものの、安福久の能力と比べられると後継牛として認められなかった。

 

とくに、注目されていた美国桜を一の祖に持つ場合去勢の肥育現場成績が振るわなかった。

(美国桜-安福久-平茂勝といった去勢)

 

それでも安福久が3代祖までに入っていて、美国桜が入っているような流れをもつ牛は、現在においても去勢でも雌でも高値で取り引きされている。

 

例えば、生産雌牛なら、

諒太郎-美国桜-安福久-平茂勝といった流れであれば、体重そこそこでも多くの人が欲しがる。

 

肥育素牛であれば、

華春福-安福久-金幸-神高福は鉄板。

 

牛を生産する上で、安福久は必ず考えなければならない血統だ。

ホルモンによる分娩誘起

牛の分娩誘起に注射を使うことがありますが、あれってなんですか?って聞かれたことがあります。

 

あれはホルモン剤で、主にプロスタグランジンです。

 

はい、プロスタグランジンはホルモンです。

 

プロスタグランジンを投与すると、お産前の牛であれば子宮収縮を促進され、分娩を誘発する作用があります。

もちろんプロスタグランジンは分娩誘起にだけ使うわけではありません。

 

発情誘起にも使うことがありますね。

 

今回は、分娩誘起の説明なので、発情の話はまたの機会でします。

 

まず、具体的は大まかなプロセスは、プロスタグランジンによる作用で牛の子宮口を拡張させ、子宮収縮を促進することで、分娩を促します。

 

そもそもプロスタグランジンは、牛の体内で自然に産生されるホルモンであり、合成されたものを人工的に投与しています。

 

投与後の段取り例は、

「1日目の朝、一本目注射(経過観察)

→翌日の朝に2本目注射→その日の午後に分娩」

といった、スケジュールになります。

 

この方法は、子牛に対するホルモン作用と母体に対するホルモン作用をコントロールするものです。

 

ただし、牛のお産スピードは個体ごとに違うため、一本目の注射を打った日にお産が始まることもあります。

 

ですから、一本目の注射を打ったあと、厳戒態勢で待ちましょう。

複乳頭について

複乳頭は、哺乳類が進化する過程で、環境に適応するために退化したものと考えられています。

 

乳頭(乳首)は最終的に人間は2つ、牛は4つです。

 

複乳頭の場合、一度に複数の子どもを授乳できるため、子育ての効率が上がるという利点があります。

 

しかし、進化の過程で、乳頭の必要性は限られていって一度に産む、子どもの数と子どもが飲む母乳の量によって乳頭の数は決まりました。

 

乳頭の数が多いほど効率が良いというわけではなく、子どもの数と乳頭の数が合ってないと意味がありません。

 

牛が4本の乳頭を持つのは、草食動物であるため一度に産む子どもの数が少なく、4本の乳頭で十分に子育てができるという適応の結果とされています。

 

人間も、一度に産む子どもの数が少ないため、2本の乳頭が適当でした。

 

古の時代に、退化する前の複乳頭が実際に使われていた時代があったかどうかはわかりませんが、古代の文献には複乳頭を持つ動物についての記述があることから、少なくとも古代から存在していたと思われます。

 

というのも、牛も稀に複乳頭が発現するからです。

乳首が5本ある牛がたまにいます。

 

乳首自体の機能は退化していることが多いため、母乳は出ないことがほとんどです。

 

しかし、乳頭が5本あるということは、乳腺が多いということであり、母乳がたくさんでるとも言われています。

 

複乳頭は進化の過程でなくなりますが、発現した際は、「この子、おっぱいたくさん出るかも?」と期待してしまいますね。

間違って「種」を使ったら

精液ストローを意図的に不正によって使い違うのはもちろんいけません。

 

しかしもし、ヒューマンエラーによって使い間違えた場合はどうなるでしょう?

 

たとえば、発情周期が21日を待たずに来てしまい、前につけた種がない場合、他の種をつけることになります。(もちろん発情をとばす方が好ましいです)

 

そうすると、この牛は「前回の発情で種がついていたのか?」、「今回の発情で種がついたのか?」が怪しくなります。

 

自分で種付けをしていればなんとなくはわかるのですが、これが妊娠牛となると、もはやわからなくなってしまうのです。

 

では、こうなった場合はどうするか?

 

ほっといたら、後の遺伝情報が全て狂います。

ですから、子牛が産まれたら「遺伝子検査」を行います。

 

費用はおよそ2万円弱〜3万円弱です。

 

母牛の遺伝情報と子牛の遺伝情報を調べて、同じ遺伝子を見つけます。

 

そしてこの遺伝子がどの種牛の遺伝子と相違がないかを調べます。

 

これにより、遺伝情報を確定させるのです。

 

費用や手間を考えるとしたくありませんよね。

 

ですから、発情はできる限り正確に、そして21日空けて種付けをしましょう。

 

発情周期が20日以下の牛には、在庫が豊富な精液ストローを使うと良いですね。

「生」の証明

「生きていること」を証明することはできるのでしょうか?

 

多くの場合、私たちが通常の意味で理解する「証明」とは異なります。

 

なぜなら、生命の証明は主観的な体験に基づいており、私たちが自覚できるものではないからです。

 

どういうことかと言うと、自分の主観としては生きているが、誰かの主観(人生における"地点")では死んでいると言うことです。

 

ただし、生命を証明するためには、いくつかの客観的な指標が存在します。

 

たとえば、人間であれば、心拍数、呼吸、脳波などの生体反応を測定することができます。

 

これらの指標は、通常、生命の存在を示すものと考えられています。

 

また、生物学的には、生命は代謝反応を通じて維持されていることが知られています。

 

つまり、生物は食物や酸素を取り込み、代謝反応を通じてエネルギーを生み出し、廃棄物を排出することで、生命を維持しているのです。

 

これらの生物学的プロセスが存在することも、生命の存在を示す指標となります。

 

しかし、生命そのものが主観的な体験であるため、生きていることを完全に証明することはできません。

 

ですから、牛を飼っている事実は自分自身の主観であり、牛が死ぬこともまた自分自身の主観なのです。

 

つまり、何かが死ぬことは自分の人生の一部であると言えます。

 

もしかしたら、私も誰かの主観でしかないのかもしれません。